阿波踊り のち ギリシア


 盛夏の徳島の一大イベントである阿波踊りは東京都内でもけっこう盛んだ。
 都内でも特に有名なのは高円寺の阿波踊りだが、そのほかにも十数ヶ所で催されている。 私の実家がある新宿区・神楽坂もそんな地域のひとつ。物心ついたときにはすでに夏の定番イベントとなっていた。

 盆踊りはみやびな円舞(ロンド)のようなもの、阿波踊りは情熱的なカーニバルのごとし。

 毎年阿波踊りの季節になるたびに「私もいつかあの踊り子たちに加わりたい……」と思っていたものだが、たいへんな引っ込み思案だったため長らく思いをかなえることができなかった。そんな私にある年チャンスがめぐってきた。22歳のころバイトしていた郵便局が阿波踊り大会参加のための「連」を結成することとなり、その際の踊り子募集に思い切って応募したのだった。
 ※阿波踊りは「連(れん)」と呼ばれるグループごとにまとまって踊る。
  衣装やお囃子はそれぞれの連で用意され、踊り方にも違いがある。



 阿波踊りには男踊りと女踊りとがあり、踊り方は地方や連によって特徴がある。手足をめちゃくちゃに振り回していればいいのかと思っていたがそういうわけでもなく、やってみると意外とむずかしい。
 私が挑戦したのは女踊りのほう。関東の女踊りの足の動きの基本は自転車をこぐような回転運動である。身体の重心を傾けることなく太ももを高くあげるのがポイント。お囃子のリズムにあわせて左右の足を交互に動かす。上下の動きがあるのであまり前には進まない。そんなにスタスタ進んだら見る人がつまんないからね。
 腕はほとんどバンザイに近い格好で上にあげ、これもお囃子にあわせて左右を交互に前に出す。指先の動きや肘の形などは連によっていろいろのようだ。


 さてさて、郵便局連で初めて阿波踊り大会に参加して思ったことは
  「もっと本気でやってみたい!」 
 企業連の阿波踊りは半ば宣伝活動でもあるため踊りへの情熱は薄く、参加することだけに意義があると言ってもよい。対して、徳島や高円寺から遠征でやってくる連の方々や地元の有志などは踊りが好きで好きで参加しているわけだから、うまさも迫力もケタ違いである。そこで、翌年は地元「神楽連」に参加することにした。


「神楽連」は神楽坂商店会の方々や地元の少年・少女で構成される連である。大会の2ヶ月前より週1程度の練習会がはじまる。テープレコーダーのお囃子で練習した郵便局連とはちがい、神楽連は毎回生演奏なので踊りにも気合いが入るというもの。ティーンエイジャーにしてベテランの少女たちに手ほどきを受け、さまざまな踊り方やフォーメーションをこなしていく。
 前年の5倍ハードな練習を経て参加した大会当日は完全燃焼。大満足だった。


 ここで少し話が変わる。
 神楽坂のある新宿区とギリシアのレフカダ町は姉妹都市提携を結んでいる。「怪談」の著者である小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)生誕の地がレフカダ、終焉の地が新宿区内で、その縁によるものだ。
 1992年、レフカダ町でおこなわれたフォークロア・ダンス・フェスティバルに、新宿区からも阿波踊りの踊り手40名が出場することとなった。メイン参加者は、新宿区役所・保育園職員などから構成される「つつじ連」の踊り手だが、神楽連からもベテランの少女と男性数人が参加した。ほとんど素人である私はもちろんその中に含まれていない。

 「ギリシアか。いいな〜〜、うらやましいな〜〜」
 それまで海外旅行には全く興味がなかったのだが、舞踊団のギリシア行きを聞いて何故かすごく羨ましく思った。白亜の遺跡やエーゲ海の島々のイメージが頭から離れなくなり、どうしてもこの目で見たくなった。
 とはいえ、海外旅行の経験がなく、金銭的余裕もさほどない私にとってギリシアは遥かに遠かった。新婚旅行のようなビッグイベントでもなければ一生行くことはできないだろう。そこで、当初国内で済ます予定だった新婚旅行の行き先をギリシアに変更したい、と相棒に持ちかけた。
 極端な方針変更。さすがに相棒も仰天したようだが、「婚約指輪はいらないからどーしてもギリシアに行きたい! ギリシア以外のどこにも行かない〜〜!!」とゴネまくってどうにか了解してもらった。そうして阿波踊り遠征隊に遅れること2年で我らもギリシアの地に降り立った。(レフカダには行かなかったけど)

 阿波踊りがきっかけでギリシア旅行することになるとは。我ながらまさかの展開だった。かくして「阿波踊り」と「ギリシア」は燦然と輝く20代の思い出となった。

 


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